写真を批評すると、写真がうまくなる理由
こんにちは。大阪から無事帰還しました万城目です。
DopeZine写真展ですが、無事終えることができてよかったです。昨日経理関係が全て完了して、一段落を終えることができました。オフラインでメンバーに会えるのはとても新鮮で面白かったですね。
今日は写真批評についての話をします。DopeZineLab内でも写真批評会として行っていますが、こう何ヶ月も批評する側として写真を見ていると気づいた点が多かったので共有していきます。
批評は誰でもしていいもの
そもそも批評って誰でもできるものです。調べてみるとこう出てきます。
「「批評」は、おもにある事物に対して、その善悪、価値の有無などを判断し、述べること。文芸、美術、音楽などの芸術作品、人物などについて使われる。」
よく勘違いされるのが「講評」。講評は指導的な立場で、そのもののできばえを理由を挙げながら批評することですね。
批評は誰でもやっていいので、ラボの批評会は誰でも意見を言えるような意味を込めて批評会にしています。今は講評的な部分も多いかもしれませんが、後々はみんながみんなの写真を批評できるようにしていきたいです。
眺めると見るは違うと知れ
普段写真をどう見ていますか?
私はTLで写真が流れてきたり、写真集でみたり、自分で調べてみたり、批評会で見たりと様々な面で写真を見ます。
多くの人は写真を見ているのではなくて眺めているに近いのかなと感じました。写真を見てどう感じたのかを考えたり、クリエイターの思考や技術にフォーカスせずにただ眺めるだけのかなと。
そういう楽しみ方も確かにあって、私自身もなにも考えずに眺めることもあります。ただ全てを眺めるだけにしていると、自分の価値観や見る技術が全くアップデートしていかないんですよね。
きちんと作品を見るということが重要になるわけです。おそらく「見る」っていうのが抽象的だと思うので、少し言い換えをしてみます。
「見る」というのは対峙すること
「見る」というのは分解すると、クリエイターとの対峙と自分との対峙となります。
クリエイターとの対峙というのは、作品を作った人が考えている思想やテーマ、コンセプトを汲み取ることです。眺めているときにそこまで突っ込んで考えないですよね。
例えばTwitterのTLを見ているときがわかりやすいと思うのですが、すげー!や綺麗と思ってもその作品が日々作っているモノや思想まで読み取ることはほとんどしないと思います。この状態は本当の意味で「見る」ことをしていないことになります。
もう一つの要素である「自分との対峙」は自分がその作品を見た時に、なにを感じたのかを言語化することです。感覚的な気持ちよさ悪さみたいなものやなんでこうなっているんだろう?って深堀りして言語化していきます。
「見る」というのは単純に言えば、見て考えて言語化することです。ここまですると作品からのインプットから自分の思考や感情の言語化によるアウトプットまで繋がっていき、思考や価値観のアップデートになるわけです。
見る力を鍛えるためには?
見る力を鍛えるためには、批評を行うことが重要です。
ラボの人も人の写真にとやかくいう人がかなり少ないというか躊躇?遠慮している気がします。全く知らない人ならまだしもラボのメンバーであれば言ってみてほしいです。
少し考えてみてください。人から感想や批評を受けると嬉しいじゃないですか?自分の写真を見てこう感じてくれて、こう思ってくれているんだということがわかるので。
私なんかは人から批評を受けることがかなり少ないので、メンバーのことは羨ましく思っています笑。
言葉的な意味で、批判や批難といった言葉にネガティブなイメージがあるので、批評にも少しはネガティブイメージがあるのかなと思っているので躊躇している人もいるのかなと感じています。
しかし批評をすることは良いですし、される人にとってもする人もとってもメリットしかないので、積極的にしていきましょう。
個人的にここ半年くらい多くの写真を批評をしてきた結果なのかわかりませんが、自分の見るレベルが上がっていると思います。そう感じたのはTwitterのTLに流れてくる写真になんの感情もわかなくなっていることを自覚したからです笑
結局SNSに上がる写真はSNS写真だし、写真を見るべき媒体としてはSNSはよくはないものだと感じています。同じオンラインでもラボの批評会で撮った意図を聞きながら写真を見てみんなで考えていくのが遥かに多くの価値観を自分に与えてくれています。
写真を撮る量の3倍以上は見よう
写真を撮るのが量が重要だと言う話はいつも言ってますが、見る量も必要だと考えています。
なにが良くてなにが悪いのかはどれだけ撮ってもわからないし、見ないと身につかない部分です。特に思想へのアプローチは人の考え方を知って、自分の中で反芻して考えていく部分だと思います。
そこを体得するためには、写真を撮る以上にいろいろな写真を見る必要があります。映え写真はもちろん、下手くそな写真も、理解できない写真などなども多様性のあるものをたくさん見ることで要素を繋げていくことが出来ます。
見る力を鍛えると、自ずと撮影する力にも繋がっていくし、何よりセレクト力も上がります。批評をすることは地力なんですよね。この地力がないとどんなすごいハウツーを学んでも活かしきれないし、薄っぺらい作品になってしまいます。
地力を鍛えるためにも、多様な写真や、写真に限らない世の中の作品を見ることが重要です。
最後に
毎月ラボ内写真批評会を行っていますが、今は固定のメンツが批評する側に回っていますが、ローテーションで批評する側のメンバーを指名しようと考えています。
批評力も鍛えるものなので、最初はひょろひょろでも大丈夫です笑。むしろそういった意見や考え方から生まれるものもあります。
ラボメンバー全体でもっと面白い写真表現を模索していって、いずれは有名な賞や実績を得られるようになれれば嬉しい限りです。
ではまた。
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